実家の家業が恥ずかしい、嫌いだった少年期。
実家の家業を継ぐのが嫌で嫌でしかたがなった思春期。
東京に都会に、華やかな毎日を憧れていた思春期。
私生活や文化(日本古来の農耕文化)、自然に対する感謝を忘れ仕事に没頭していた20代。
20代前期の頃は言われた事を100%こなすのに必死だった。
20代中期の頃になると100%プラスαのことをすることに必死だった。
20代後期になると納得が出来ない事はTOP命令であろうと決して首を縦に振らず、
自分の命を削る覚悟で仕事に望めるようになった。
30代前期自分の価値観、ポジションは180°大きく変わった。
実家の家業のすばらしさ。実家、ご先祖、地域や自然界のありがたみを今とても感じている。
自分は宇宙の一部である。
その一部がなぜ故に生まれ生かされているのか。
自分のしたい事。将来像。それぞれに生かされている事とリンクしなければならない気がしてならない今日この頃だ。
2011年4月16日土曜日
2011年4月14日木曜日
たいせつなもの
私達にとって一番大切なものってなんだろう。
まず思い浮かべるのが家族であったり、友人、仲間、大切な人達など人間社会が浮かぶ。
そうなんだよね。でも今回の震災で多くの方達が自然との関わりについて気づいたのではないだろうか。
自然があって、太陽があって、空があって、海があって、風があって、地球があって、
初めて人間が存在する。
日本には古来からこんな考えがある。
八百万神(やおろずのかみ)太陽の神様、空の神様、風の神様、石の神様、川の神様など
自然界に存在するものそれぞれが神という考えだ。
世界中でここ数年エコロジー活動など、地球、自然に対しての考え方がかわりつつある。
人間関係はとても大切な事です。
でも人間は自然があっての人間です。生かされているのです。
もうすこし自然に対して考えようと思います。
なぜこの宇宙に、地球に、日本に、栃木に、下野市に生まれ生かされているのか?
まず思い浮かべるのが家族であったり、友人、仲間、大切な人達など人間社会が浮かぶ。
そうなんだよね。でも今回の震災で多くの方達が自然との関わりについて気づいたのではないだろうか。
自然があって、太陽があって、空があって、海があって、風があって、地球があって、
初めて人間が存在する。
日本には古来からこんな考えがある。
八百万神(やおろずのかみ)太陽の神様、空の神様、風の神様、石の神様、川の神様など
自然界に存在するものそれぞれが神という考えだ。
世界中でここ数年エコロジー活動など、地球、自然に対しての考え方がかわりつつある。
人間関係はとても大切な事です。
でも人間は自然があっての人間です。生かされているのです。
もうすこし自然に対して考えようと思います。
なぜこの宇宙に、地球に、日本に、栃木に、下野市に生まれ生かされているのか?
2011年4月13日水曜日
続、アメニモマケズ
レベル7始めから解ってたよね?
なんだか仕事ができないサラリーマンみたいなことをしてる。
怒られるから言わない。でも後でばれて怒られるみたいな感じがする。
国のトップがこんなレベルなのかな?
俺が小学生の頃は将来総理大臣になりたいなんて冗談まじりに言ってたっけ。
周りにけっこういたな。
最近地元の小学校の卒業生の将来なりたい職業に誰一人として総理大臣と書いた人は居なかった。
小学生ながらにして見ているんだね。
数年前からインターネットというツールができて人々の情報源が膨大に増えた。
TVや新聞というプロパガンダ要素を含む情報を受けるだけでなく、
一個人自ら情報を探す事が出来るようになった。
とは言っても規制も沢山あるが。。
情報が沢山あるという事は比例して思想も増えるのではないかと思う。
私達の時代は一方通行は難しい。
情報を得れば得るほど、探せば探すほど何が正しくて何がいけないか解らなくなる。
マイナス的な思考かもしれないが、アナログに、原始的に帰りたくなる。
すべてアナログ、原始的というのは現実的では無いだろう。
しかし、ある程度はアナログ、原始的でも良いのかなと思う。
今回の震災で多少の停電は可能という事が実感できた。
今の社会構造は第三次産業的なものが過剰なのかと感じる。
一次産業、二次産業、三次産業のバランスが悪く感じる。
俺が東京に居た頃はなにかを「金銭消費」することが全ての考えの始まりだった。
マンションに住む。会社に出かける。仕事をする。ご飯を食べる。家に帰る。
単純な行動でも今の10倍金銭的な消費が多かった。
東京を離れてみると、とてもそれを実感できる。
東京が金銭消費で成り立っている場所にさえみえる。
少し体を使い、自然から与えられる力を利用しするだけで全然違う生活が出来る。
しかも体や心にとてもよい!
こんな時代だからこそ宮沢賢治の「雨にもマケズ」を読み、感じるべきかと思う。
なんだか仕事ができないサラリーマンみたいなことをしてる。
怒られるから言わない。でも後でばれて怒られるみたいな感じがする。
国のトップがこんなレベルなのかな?
俺が小学生の頃は将来総理大臣になりたいなんて冗談まじりに言ってたっけ。
周りにけっこういたな。
最近地元の小学校の卒業生の将来なりたい職業に誰一人として総理大臣と書いた人は居なかった。
小学生ながらにして見ているんだね。
数年前からインターネットというツールができて人々の情報源が膨大に増えた。
TVや新聞というプロパガンダ要素を含む情報を受けるだけでなく、
一個人自ら情報を探す事が出来るようになった。
とは言っても規制も沢山あるが。。
情報が沢山あるという事は比例して思想も増えるのではないかと思う。
私達の時代は一方通行は難しい。
情報を得れば得るほど、探せば探すほど何が正しくて何がいけないか解らなくなる。
マイナス的な思考かもしれないが、アナログに、原始的に帰りたくなる。
すべてアナログ、原始的というのは現実的では無いだろう。
しかし、ある程度はアナログ、原始的でも良いのかなと思う。
今回の震災で多少の停電は可能という事が実感できた。
今の社会構造は第三次産業的なものが過剰なのかと感じる。
一次産業、二次産業、三次産業のバランスが悪く感じる。
俺が東京に居た頃はなにかを「金銭消費」することが全ての考えの始まりだった。
マンションに住む。会社に出かける。仕事をする。ご飯を食べる。家に帰る。
単純な行動でも今の10倍金銭的な消費が多かった。
東京を離れてみると、とてもそれを実感できる。
東京が金銭消費で成り立っている場所にさえみえる。
少し体を使い、自然から与えられる力を利用しするだけで全然違う生活が出来る。
しかも体や心にとてもよい!
こんな時代だからこそ宮沢賢治の「雨にもマケズ」を読み、感じるべきかと思う。
2011年4月11日月曜日
2011年4月7日木曜日
ありがとう!
「ありがとう」日本語で一番素敵な言葉。
「有り難う」相手への感謝の言葉。
「アリガトウ」気持ちと比例してしまう言葉。
辞書によると、
「有り難し」とは、本来「有ること」が「難い(かたい)」、すなわち「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味。
少しニュアンスが古い気がする。
言葉が生きている証拠だろうね。
今日も全てに「ありがとう」
「有り難う」相手への感謝の言葉。
「アリガトウ」気持ちと比例してしまう言葉。
辞書によると、
「有り難し」とは、本来「有ること」が「難い(かたい)」、すなわち「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味。
少しニュアンスが古い気がする。
言葉が生きている証拠だろうね。
今日も全てに「ありがとう」
夕日
私は毎日一日の作業を終えた後愛犬「sora」と散歩をする。
散歩のときに夕日を見て、そして本日もありがとうございましたとお日様に感謝する。
一日で一番好きな時間だ。
ゆっくりと、じっくりと夕日を見る。
私の職業は百姓であるため、朝日が昇ると同時に仕事を始め、
夕日が降りる頃に仕事を終える。
東京で働いていたときとは正反対の生活だ。
今の生活をとても幸せに感じる。
今日も全てに感謝。
2011年4月1日金曜日
言葉其の一
がんばろう日本
今回の東日本大震災で沢山耳や目にします。
「頑張れ」という言葉ですに対して様々な意見があるようです。
それに対して「ひとつになろう」「ひとりじゃない」など沢山のメッセージもあるようです。
ぼくは「頑張れ」ということば嫌いではありません。
むしろ有り難く思ってますし、人に勇気を与えたいときに使いたい言葉です。
辞書で調べるとこんな事が書いてありました。
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。
3 ある場所を占めて動かないでいる。
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。
3 ある場所を占めて動かないでいる。
辞書に書いてある意味を知っている方達って何人くらいいるのですかね。
私はえっ?ちょっと違うよね?と思いました。
多くの場合上記の意味で使っている方は少ないと思います。
言葉は生きているし、場所によってコミュニティによって様々な使い方をするので一概には言えない部分があると思います。
だけど自分は幼少の頃から「頑張れ」という言葉は、言われて勇気がつく言葉。
相手に対して勇気を与える言葉として使っているので、おそらくこれからもそういう使い方をすると思います。
それが自然じゃありませんか?
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